2020.02.26

知って得する? 多摩川ボート-2

  • 砂利の採取跡がボートレース場に

多摩川の砂利採取場の跡地を利用して多摩川ボートが誕生したのは、1954年6月です。最初の頃は「府中競艇場」と呼ばれていましたが、初期の経営が破綻して、1956年から「多摩川競艇」と呼ばれるようになりました。砂利の採取は1960年代まで行われていました。現在は砂利の採取は行われていません。レース場の水は1マークの前方にある井戸から水をくみ上げています。淡水のきれいな水です。鯉が泳いでおり、選手が餌やりをしています。

  • モーター番号の代わりに西武鉄道の駅名がつけられていた

モーター番号では味気ないというので、多摩川ボートではモーター番号の代わりに名称で呼んでいた時代がありました。最初の頃は西武鉄道の駅名がつけられ、その後に関東圏の都市名がつけられたり、山の名前もありました。平和島、戸田、びわこでもモーター名称を使っていましたが、JLCが開局してから映像画面の関係でモーター名称が番号になりました。伝説のエース機「秩父号」は今でも古いお客さんの間では語り継がれています。BTS市原で舟券教室の講師をしている佐藤勝さんが現役で活躍していた時代です。佐藤さんは、長岡茂一に破られるまで多摩川の最多勝利の記録を持っていました。