2018.05.23

●オールスター誕生秘話「岩田杯があるのに笹川杯がないのはおかしい」

ボートレースオールスター(笹川賞)は、全国地区対抗競走が前身です。全国6地区で争う大会は、強い地区と弱い地区がはっきりしすぎていました。当時はSGのことを4大競走の「大」から「ビックレース」という呼び方をしていました。
笹川賞になったのは、突然ことだと言われています。当時の笹川良一会長が「宮島には岩田杯という個人名を付けたレースがあるのにと、笹川の名前のついたレースがないのはおかしい」と言って、すぐに笹川賞が創設されました。これには後日談があった、笹川賞は「笹川さんの個人宣伝ではないか」と民放テレビ局がSGの放送をしなくなりました。「民放が放送しないから、自分のところで放送局を持てば良い」になり、スカパーの第1号にボートレースが「日本レジャーチャンネル」として名乗りを挙げました。
第1回笹川賞の優勝者は、当時30歳の野中和夫(大阪)です。野中はこの後も笹川賞で優勝し、同一SG優勝6回の記録を樹立しました。